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社会学ジャーナル 第27号 41〜54頁 2002年3月

社会システム論の誕生
――パーソンズと精神分析――

周藤 真也

1 はじめに

 タルコット・パーソンズは、自らの社会学理論においてもっとも影響を受けた学者としてエミール・デュルケム、マックス・ヴェーバー、ジークムント・フロイトの三人の名前をあげる1)。デュルケム、ヴェーバーはともかくとして、通常社会学者とはみなされないフロイトはこれら三人の中でいささか異質な存在に思える。パーソンズは、なぜこの三人の中にフロイトを含めるのか、パーソンズにとってフロイトはいかなる存在であったのか。
 パーソンズの社会学において、フロイトからの影響が彼の論文のなかに顕著に認められるようになるのは、1950年代に入ってからのことである2)。ベールズとの共著による『家族』(Parsons & Bales 1955)、『社会構造とパーソナリティ』(Parsons 1964)3)は、フロイトの対象関係論をもとにして、パーソンズが社会化過程を論じ、パーソナリティの分析を行ったものとして代表的なものである。それに対して、初期パーソンズの代表作である『社会的行為の構造』(Parsons 1937)において、パーソンズはまだフロイトからの影響を受けてはいなかった4)。そうした意味において、パーソンズがデュルケム、ヴェーバーからの影響に加えて、フロイトからの影響が加わったことは、『社会的行為の構造』に代表される初期パーソンズの社会学と中期以降のパーソンズ5)のそれとを分かつ重大な要素のひとつとして考えられるのではないのか。
 中期以降のパーソンズの社会学理論を考える上で、「社会システム」という概念は重要である6)。パーソンズは、この概念を1951年の書物の表題に掲げ、以降「社会システム」はパーソンズの社会学理論の中心概念のひとつであり続けていく。そして、パーソンズがシステム概念を用いるようになったのは、ハーヴァード大学の同僚であったヘンダーソンからの影響においてであったのだが、ヘンダーソンはまたパーソンズにフロイトの精神分析を紹介した張本人であったのだ。それはさておき、われわれが注目したいのは、初期パーソンズと中期以降のパーソンズを隔てるものは、「社会システム」という概念に表象されていたとみることもできることである。それならば、パーソンズが『社会的行為の構造』において取り上げた「主意主義的行為理論」から中期以降の「社会システム論」への展開において、精神分析との接触はどのような鍵を握っていたのか。
 さしあたって、われわれは、パーソンズの社会学をフロイトを系譜とする精神分析からの影響から捉え直してみることにしたい。そこで、われわれが仮説として置くのは、パーソンズの精神分析受容は、パーソンズの社会学理論の「システム論的転回」と深くかかわり、「社会システム論の誕生」という社会学史上のひとつの出来事を作り出した可能性である。本論文ではまずこのことを記述することを通して、パーソンズの社会学と社会システムという概念の性質をあらため問い直すことへとつなげていくことにしよう7)。

2 パーソンズと精神分析の出会い

 パーソンズは、自らの社会システム論の構築過程についての自伝的論文(Parsons 1970)の中で、フロイトの著作との出会いについて語っている。それによれば、その出会いは1936年ごろに遡るという。すでに1935年には『社会的行為の構造』の原稿を完成させていたパーソンズは、その後医療を対象にした専門職についての研究を志す8)。そうした中でパーソンズは、自分の考えにきわめて合った研究法を述べた論文に出会う。それは当時ハーヴァード大学の同僚であったヘンダソンの「社会システムとしての医師と患者」であった。パーソンズは、自らの研究計画について、医学を修めているヘンダソン、そして彼のもとにあったメイヨーに相談する。そして、パーソンズは、メイヨーからの助言によってフロイトを本格的にかつ全体にわたって読むことになったである(Parsons 1970:訳40-2)9)。
 パーソンズの精神分析受容は、次のように研究関心の焦点を転回させていった。医療における社会状況、すなわち医師−患者関係の分析は、分析医と受療者とが直面する諸問題10)の根源の分析へと転化する。さらに、これは、精神分析療法における受診者のパーソナリティの変容から、家族における子供の発達の諸条件の研究へと繋がっていく。ここにおいて、フロイトを発端とする対象関係の探求は、ー匆駟顕重諸規範の内面化、∩蠍濆坩拜蠎蠅任△訛昭圓離僉璽愁淵螢謄の内面化11)、の二重の意味においてパーソンズの研究の対象となった。
 しかしながら、パーソンズにおいて精神分析からの影響が如実にみられる研究が本格的に発表されるのは、『家族』や『社会構造とパーソナリティ』などにおける諸論文の1950年代に入ってからのことであるのだ。パーソンズのフロイトの著作、そして精神分析との出会いは、パーソンズ自身による社会化過程の分析、あるいはパーソナリティ研究に応用され公刊されるに至るまでに約15年を要する。そして、こうした展開の転換点に「一つの頂点」(Parsons, 1970:訳54)として1951年の『社会システム』(Parsons 1951)と『行為の一般理論をめざして』(Persons, Shils, et al. eds. 1951)の二著作が位置している。
 パーソンズのこの1951年に至るこの時期は、初期のパーソンズの社会学から、中期以降のパーソンズの社会学の理論的転回において注目される12)。だが、少なくともパーソンズは『社会的行為の構造』以後に試みはじめた医療に関するモノグラフ的研究を『社会システム』に至るまで公刊できなかったことを自らの研究経歴における「挫折」と捉えていた(Parsons 1970:訳48)。パーソンズはフロイトの精神分析に接触することによって、「経済的政治的複合から社会的心理的複合へ向かって揺れ動き、医療に関する研究の実現を引き延ばし、社会統制の微妙な側面と社会化過程における諸問題の発生についての一般的な関心へそれさせられた」(Parsons 1970:訳48)という。そして1940年代後半の自身の社会学上の展開を心理学的およびミクロ社会学的問題から経済学的問題を含むよりマクロ社会学的問題への復帰と位置づけていた13)。
 だが、われわれが注目したいのは、1951年に至るこの時期にパーソンズの身辺において、いくつかの出来事が重なっていることである。パーソンズにとって、この時期は、ヨーロッパの学問的舞台への参加がはじまったり、44年にはハーヴァード大学の社会学科長に任命されたり、49年にはアメリカ社会学会の会長に選出されたりなど、ハーヴァード大学内においても、学会・学界においても合衆国国内/国外を問わず広く活躍を求められるようになった時期であった。だが、パーソンズと精神分析との関係で、よりいっそう注目しなければならないのは、1951年に至る直前のこの時期、すなわち1946年から5年にわたってパーソンズはボストン精神分析研究所で正規の精神分析の研修に参加していることである(Parsons 1970:訳48)14)。パーソンズが精神分析の研修に参加するのは、ひとつには純粋な研究的関心からであったけれども、その一方でもうひとつには精神療法からの助力を求める個人的な理由をもっていたからであった。この時期、パーソンズには実兄(1940年)、両親(1943,44年)と近親者が相次いで死去するなど身辺上の出来事がいろいろと起こっている。そしてパーソンズ自身「この寄り道が突然起こった一要因」として医師である義父の死(1938年)をあげているのである。こうした諸事実は、パーソンズの「社会システム論の誕生」が、パーソンズ自身の〈病〉に対するひとつの「快方」(−〈予後〉)であった可能性を暗示させてしまう。すなわち、中期以降のパーソンズの社会システム論の展開は、それ自体が「病跡学」としての位置をもつ営みであったことを指し示しているようにも受け取れてしまうのだ。

3 社会システム論の転位・精神分析受容の消去

 「社会システム論の誕生」に至るパーソンズと精神分析との関係は、われわれをパーソンズおよびパーソンズの社会学を精神分析することへと誘っている。われわれは、これまで、精神分析という媒介が、パーソンズの社会システム論を誕生せしめた可能性を、パーソンズの社会学の周辺的状況において確認してきた。それに対して、成立していくパーソンズの社会システム論において、精神分析はどのようにとりこまれたのか、どのような位置を占めてきたのか。
 パーソンズの『社会システム』の第十章「社会構造と動態的過程」は、この章が事例を中心とした構成になっており、その事例こそがパーソンズが『社会的行為の構造』から『社会システム』に至る間の「挫折」のうちにあった近代医療の事例であることにおいて、注目しなければならない。パーソンズはこの章において、医師という専門職の分析を行っているのだが、その際の精神医療の扱いはすべての医療の範型とされることによって特異な位置を与えられている。パーソンズは、「すべてのたくみな医療は、昔も今も、ある程度まで精神療法である」といい、「社会統制のメカニズムとしての精神医療は、精神療法とか社会統制過程が何であるべきかに関する理論の適用から独立して、医師の役割のなかに組み込まれている一組の『自動的』ないし潜在的なメカニズムとみなされなければならないものをあてにしており、また、そういうものを拡大している」という(Parsons 1951:訳469f.)。パーソンズはそうしたメカニズムを「医者?患者の役割関係にみられる無意識の精神療法の要素によって提供されている」とまとめている(Parsons 1951:訳470)。
 こうしてパーソンズの精神分析との出会いは、精神療法を介する形でもって社会システムの方へと結びつけられることになる。パーソンズが社会システム論に取り込んだ精神分析の要素は、こうした精神療法に象徴される社会統合の面である。たしかにこのことは『家族』や『社会構造とパーソナリティ』にまとめられるパーソンズの仕事において確認することができる。パーソンズの「フロイトへの関心は、治療をめぐる医者−患者関係の問題ばかりでなく家族内部でのパーソナリティと社会構造への関心を惹起し、この関心こそが(中略)家族と社会化に関する著書の基盤となったのである」(Parsons 1964:訳17)。パーソンズは、フロイトを心理学と社会学の統合への貢献において位置づけた。パーソンズがこれらの著作においてめざしたのは、「心理的諸現象を大規模な社会構造とその諸過程の中に位置づけていくための分析装置」を発展させることであり、「パーソナリティの社会化も、病気の心理学的治療も、個人を集合的連帯の中へ統合する」ことであり、「このことはある意味で、心理学の考え方にみられる伝統的な個人主義では明らかにされなかったこと」なのである(Parsons 1964:訳17)。
 だが、1950年代のパーソンズには、パーソンズの社会システム論が精神分析の媒介によって誕生したとするのなら、そのことに相反するような二つの研究の方向をみておかなければならない。ひとつには、そのことを再現(反復)するように『家族』や『社会構造とパーソナリティ』などにまとめられる社会化過程の分析やパーソナリティー研究を行ったことであり、もうひとつにはそのことを消去(抹消)するように社会システム論としての純化をはかることである。1960年代に入ると、パーソンズは、もはや50年代にみられていた精神分析からの直接的な影響の見られる論文が少なくなっていく。パーソンズの社会学が、構造−機能主義あるいは単に機能主義と呼ばれるようになるのも、こうした後者の精神分析の消去されていく様態と期を同一にしている15)。
パーソンズは、『行為理論についての作業論文』(Parsons 1953)以後、四機能範式、いわゆるAGIL図式を範型としていく。そのとき、もはや社会システム論が精神分析の媒介によって誕生したことは、包み込まれて見えなくなっていく16)。このことはAGIL図式がA(適応)、 G(目標達成)、 I(統合)、 L(潜在性あるいは潜在的パターン維持)それぞれに、例えば全体社会における経済・政治・共同体・価値というように各機能を割り当てることによって、「社会システム論」として独自の歩みをすることが決定づけられている。なぜならパーソンズはこうした割り当てを通して、「社会構造」を分析する道具としてそれをわれわれに提示することが可能になり、それが「精神分析」を出自としたものであるしばしば忘却させるからだ17)。
 注目したいことは、確かにパーソンズの1951年の著作、『社会システム』は1960年代以降本格的に展開される構造−機能主義の議論の基盤となっている。しかしながら、行為の準拠枠を用いることで共通するこれら二著作は、システム論的転回がふんだんに盛り込まれながらも、むしろ社会化研究やパーソナリティ研究の基礎理論として行為論の色彩が強い。それは、1951年の『社会システム』あるいはパーソンズの「社会システム論の誕生」が、パーソンズが主意主義的行為論を出発点としてシステム論的に転回していくことのちょうど中間に位置する過渡期のものとして位置づけることができるということを意味しているだろう。それとともに、このことは、パーソンズの中期以降のいわゆる「構造−機能主義者」としてのパーソンズの像が、主意主義的行為理論の何らかの断念あるいは放棄として断絶性のもとに捉えられてきたとともに、もう一方では主意主義的行為理論者としての一貫したパーソンズ像もまた語られてきたところであったのだ。そうした意味において、「社会システム論の誕生」は、パーソンズの社会学の前期と中後期とを繋ぐ丁度掛け橋になっているのであり、そうした意味において「社会システム」というのは両義的であり、またそうしたもっとも両義的な位置にあったのが1951年の著作『社会システム』であったのである。そして、「社会システム論の誕生」におけるパーソンズの「社会システム」という概念もまた媒介者としての役割をもっていたのである18)。

4 社会システム論と意味の資本主義ろ

 パーソンズは、自らの社会システム論の道具となるAGIL図式において、割り当てられた各機能を二重化し相互交換することで、パーソンズが自負するすべての機能要件を網羅するものとしていく。しかし、こうした「万能な道具」としてのAGIL図式は、果たしてパーソンズの社会学を豊かなものにしたであろうか。パーソンズはAGIL図式を提示することによって構造−機能主義者へと転換していく。構造−機能主義者パーソンズにおいて、自らの議論が精神分析の媒介によって成立したことは消去されてしまったようにみえる。しかし、パーソンズはそのことと引き換えに強迫されたようにAGIL図式を用い続けなければならない。
 たしかにパーソンズは、晩年、構造−機能主義ではなく、構造−過程主義と呼ぶべきであったといい、再び行為を自らの社会システム論の枠内に取り込もうとする。しかし、そのときに持ち出してきたのは、例のAGIL図式であった。パーソンズは、I機能に行為の一般システムを置き直し、A機能に物理−化学的システムを、G機能に人間有機体システムを、L機能にテリック・システムを置く。さらに、A機能は、全体社会の機能として経済に置き換わり、行為の一般システムにおいては行動有機体(行動システム)に置き換わり、物理−化学的システムに置き換わる。I機能は、全体社会の機能として共同体に置き換わり、行為の一般システムにおいて社会システムに置き換わり、最後には行為の一般システム自体が社会システムを乗っ取ってしまう。
 しかし、こうしたAGIL図式の変移は、行為と社会構造との埋まらない溝を提示することになってはいなかったか。パーソンズは、システムを論述するというその行為によって自らが構成していくもうひとつのシステムの中に埋没していく。と同時に、パーソンズの構造−機能主義はパーソンズを超えてひとり歩きをする。
 パーソンズの社会学が、1960年代前後から、たとえばミルズによって「誇大理論」として批判された(Mills 1959)のも、こうしたパーソンズの社会システム論の知的構造において捉え返さなければならないだろう。パーソンズの社会システム論が、社会へと到達するのは、こうした構造−機能主義の欲望において、自らが到達すべきものとしてそれを先取りしているからにほかならない。だが、それは、そのシステムの外部において、パーソンズの社会システム論が不可能であるという間隙を生んでしまう19)。ここにおいて、パーソンズの社会システム論者としての位置は二重化する。すなわち、一方では、いまだ(永遠に)達成されざるものとしてパーソンズは社会システム論者であり、と同時に、もう一方では、すでに社会システム論の誕生において到達したものとしてパーソンズは社会システム論者であるのである。
 こうした、パーソンズの社会学のあり方は、ドゥルーズ&ガタリが『アンチ・オイディプス』(Deleuze & Guattari 1972)において捉えた欲望機械の性質に接合してくる。ドゥルーズ&ガタリが精神分析において捉えたのは、解釈が循環的に自らを呼び込んで再生産を行う「意味の資本主義」20)ともいうべき事態であった21)。そうした意味において、無限に社会システム論を組み立てていくパーソンズの構造−機能主義の社会システム論は、こうした知的構造を為していたとみることができるだろう。そして、まさにパーソンズの社会システム論が精神分析を媒介として誕生したことにおいて、ドゥルーズ&ガタリがこの性質を精神分析に象徴させて捉えたこととは接合していくのかもしれない。だが、そこにはひとつの留意が生まれてくる。パーソンズは、精神分析がそうであったようなそこに主体を配置する「主体の解釈学」であっただろうか。パーソンズの社会システム論の誕生におけるパーソンズと精神分析とのかかわりにおいてわれわれが確認してきたことは、パーソンズは、そこに主体を置くというよりも、パーソンズ自身がその主体そのものであるのであり、つまりパーソンズが病める者として、パーソンズ自身の物語の所在するところとして精神分析は位置していた可能性であった。そして、まさにこのことにおいて、パーソンズの社会学は片面で免責されていってしまうようにもみえてくる。
 だが、われわれはやはりそこにパーソンズが精神分析と接触した痕跡をみておかなければならない。われわれは、1960年代以降のパーソンズ批判の文脈に、ロングの「過社会化された人間」(Wrong 1952)やガーフィンケルの「文化的判断力喪失者」(Garfinkel 1964)といったパーソンズの社会学にみられる人間観/人間像に対するものがあったことを思い起こすであろう。そして、こうしたパーソンズ批判の文脈が、20世紀後半の社会学の一面を動かしてきた大きな要素であったこをも思い起こすであろう。こうした批判が、「具体性取り違えの誤謬」であるとしても、そこで語られてきたパーソンズの社会学にみられる人間観・人間像は、パーソンズの社会学が精神分析からの影響を受けたことで説明できるものでもある。
 パーソンズが『社会システム』において、近代医療の事例をもとに「社会構造と動態的過程」を論じたとき、精神療法をモデルとして社会統制と逸脱行動を4類型として組み立てていた。パーソンズがそこで提示した「病人役割」という独創的な概念は、こうした精神分析、精神療法との関わりにおいてしか生まれ出なかった概念であった。そして、そうした精神療法の統制メカニズムは、われわれが確認してきたように、パーソンズの「社会システム論の誕生」において、それを根底から支えていたものであったのである。そして、パーソンズの社会システム論が構造−機能主義のものへと変容していくにしたがって、それはただ見えなくなっているにすぎないのではなかったか。  注意しておかなければならないのは、パーソンズの社会学のもつ人間観/人間像に対する批判の高まる1960年代は、また精神医学のもつさまざまな暴力性に対して批判的な注目が集まっていた時期でもあった。精神病院の開放および反精神医学的運動はこうした高まりを演出したのであったし、ゴフマンの『アサイラム』(Goffman 1961)などにおける「全制的施設」への注目や、イギリスの精神科医R・D・レインやアメリカのT・S・サズの仕事、はたまたミシェル・フーコーの仕事に至るまで、彼らの仕事を支えていたのは、彼らの学問的なスタンスとは別にして、精神医学批判の文脈であったことも事実なのである。
 そうした意味においては、パーソンズの社会学もまた免責されることはないであろう。パーソンズが「社会システム論を誕生」させるときに無視したのは、それはいかなる理由で(統制されるべき)逸脱行動であるのかということであったのである。それは、パーソンズの社会学が提示した人間の範型は、それが範型であることを超えて、そこに人間を置くことへと繋がっていく。だが、ほんとうに不当なのものとなるのはこの先である。すなわち、置かれたはずの人間が生気が芽生えること、そこにわれわれの行動(−行為)が置かれていってしまうことである22)。それは、オイディプスの物語が提示したような「預言の自己成就」(Merton 1949)は、精神分析で言うなれば、メタファー、仮説、あるいは説明−解釈の文法としてのみ打ち立てられたはずの精神分析理論が、逆に現実を構成していくときのように、それがわれわれをひとつの権力構造へと陥れることを意味するからだ。そして、社会システム論それ自体がこの権力構造の器であったことなのである。

5.おわりに

 行為を社会学の規準に据えることにおいて、パーソンズもまたウェーバーの学徒のひとりであった。しかし、われわれがパーソンズと精神分析との関係を捉え直したところでたどりついたのは、行為論という文脈において20世紀の社会学全体のある問題を照らし出している。行為の概念は、20世紀の社会学においてつねに社会学の中心としてあり続けてきたように思われる。ウェーバーが社会学を「社会的行為を解釈によって理解するという方法で社会的行為の過程および結果を因果的に説明しようとする科学」(Weber 1922:訳8)であると定義したとき、(社会的)行為はあたかも社会学の固有の対象として、社会学史の中に登場した。「行為」はいわば20世紀の社会学のひとつの方法的規準としての位置をもちつづけてきたのである。
 しかし、そこで欠落していた問いは、行為はいかなる意味において社会学の対象になりうるのかということであり、あるいは、行為を対象にするということはいかなることであったのかということであったのである。この問いなくしては、われわれはパーソンズの轍を踏むことになってしまう。だが、20世紀の社会学においてこの問いはあまりにも軽視されてきたのではなかったか。
 われわれは20世紀の社会学史を捉える上で、パーソンズの後続者たちも、そして(反パーソンズにおいて社会学史を作り上げてきた)パーソンズの批判者たちもこの意味では同列に捉えられるかもしれない。そして、行為論の系譜としてウェーバーを、そしてウェーバーの理解社会学の系譜としてのディルタイの精神科学の伝統といったものもみていかなければならないだろう。その作業は、また改めて別の機会に行うことにしよう。

<註>

1)パーソンズは自らの共編著による『行為の一般理論をめざして』の中で、その書物における研究が負っている近代社会科学理論の樹立者として、特にデュルケム、フロイト、ヴェーバーの名前を挙げている(Parsons, Shils, et al. eds. 1951:訳84)。また、後年、パーソンズは「もっとも重要な知的役割をもったモデル」としてヴェーバー、デュルケム、フロイトを挙げているのだが、「私の思想にとって中心的であった経験的および概念的構造の諸問題と多数の要素を形成する実質的影響においては、三人ともきわめて重要であったことはまったく明白である」(Parsons 1970:訳95)。
2)パーソンズがはじめて精神分析を社会構造との関わりにおいて本格的に取り上げたのは、1950年の論文「精神分析と社会構造」(Parsons 1950)においてである。たしかに、パーソンズの論文と精神医学との関わりにおいて、1942年と1945年のPsychiatry 誌に掲載された論文があることは注目されるし、1942年に相次いで論文が公刊されている反ユダヤ主義や、ナチズム、ファシズムについての一連の研究との関わりも興味深い事実である。そうした意味において、Parsons(1942)においてパーソンズが精神分析、精神療法に言及したことは、パーソンズにおける精神分析的パースペクティヴの始源として捉えることも可能だろう。
3)収録された各論文は1952年から62年にかけて公刊されたものである。 4)後述するように、パーソンズがフロイトの著作に接するのは『社会的行為の構造』の原稿を完成させてから後のことである。パーソンズは次のように言っている。「フロイトの考えの意味するところを『社会的行為の構造』に組み込むにはすでに遅すぎた」(Parsons 1970:訳42)。
5)ここでパーソンズの社会学の理論展開を初期、中期、後期と年代的に区分する際、ピーター・ハミルトンの区分(Hamilton 1983)にしたがっておくことにしよう。ハミルトンは、パーソンズの社会学の展開を次の三つの時期に区分した。第一に、1940年代までの初期。第二に1950年代の中期。第三に1960年代の後期。いうまでもなく、初期パーソンズの代表作が、1937年の『社会的行為の構造』(Parsons 1937)であり、中期パーソンズの主著が1951年の『社会システム』(Parsons 1951)、『行為の一般理論をめざして』(Parsons, Shils, et al. eds. 1951)、1956年の『経済と社会』(Parsons & Smelser 1956)である。そして、ここで焦点をあてているパーソンズの精神分析との接触は、この初期パーソンズと中期パーソンズとの移行期に存している。
6)パーソンズは(社会)システムの概念を、「パレートとヘンダソンの影響をうけて結晶化させた」(Parsons 1970:訳32)と考えていた。「おそらく社会学に対するパレートのもっとも重要な貢献は彼の『社会システム』の概念であったというヘンダソンの陳述がそれであり、そしてその言明は、私自身がきわめて重視すべきものと考えたので、私はその数年後に書いた本の題名としてその語句を用いたのであった」(Parsons 1970:訳32)。
なお、日本(語)においてパーソンズにおいてSocial System の訳語として「社会体系」という語も定着しているが、パーソンズの社会システム論のニクラス・ルーマンへの影響(Luhmann 1981 ほか)なども視野に入れて、本稿ではあえて「社会システム」という訳語を用いることにする。
7)ただし、その際に本稿が意図するのは、パーソンズの社会学をただ単に学説史的にとらえるのではなく、パーソンズの社会学にみられる〈知〉的傾動を精神分析との関係性においてとらえることにある。したがって、本稿は、パーソンズの社会学のいわば「知識社会学」としての要素をもつことになる。この点において、本稿は、従来行われてきたパーソンズ研究とは一線を画すことになる。
8)パーソンズは、この選択には研究上の技術的基盤だけでなく個人的動機をもっていた分析している。すなわち、パーソンズ自身が以前に生物学的医学的関心をもっていたことが関係していたというのである(Parsons 1970:訳41)。
9)よく知られているようにアメリカの精神分析は1930年代にナチスのユダヤ人迫害によるヨーロッパの著名な精神分析家の亡命によって、急速に発展することになる。パーソンズが精神分析に出会うのも、こうしたアメリカにおける精神分析の広がりが、精神医学にとどまらない内科医学のなかで受容された時期と一致する。ヘンダーソン−メイヨーのグループは、当時アメリカで急速に成長していた精神分析に関係した思想運動とも深いかかわりあいをもっていたのであった。
10)精神分析でいう転移(transference)(?逆転移)関係のことを指し示している。パーソンズは、フロイトの「偉大な発見」のひとつとして「転移」を捉え、転移の現象をヒポクラテスまでさかのぼる「医療の技法」として位置づけている(Parsons, 1970:訳44)。そこにおいて、パーソンズの医療への関心は、精神医療・精神分析を介して、再び医療全体へと接合してくるとともに、これは社会統合とも接合しているのである。
11)パーソンズの内面化は、フロイトの内面投射をもとにした概念であるのだが、ふたつの概念の差異には注意しなければならない。パーソンズはフロイトの内面投射を社会的規範の内面化と読んだのである。パーソンズは、フロイトが超自我においてのみ認めた内面化の考え方を、自我においても中心的なものとして提起している(Parsons 1964:訳8)。
12)したがって、1937年から1951年に至るこの時期に焦点をあてることは、パーソンズの社会学の学説史的研究上、重要なことがらである。そうした研究としてWearne(1989)など。
13)だから、パーソンズが『社会システム』を書き上げてほどなくして『経済と社会』(Parsons & Smelser 1956)を出したことはマクロ社会学的問題への復帰を確固としたことにおいて、重要な意味をもっていたと捉えなければならない。
14)パーソンズはその後も生涯にわたって精神分析家の訓練のための講義を担当することになる。
15)こんにち、パーソンズの社会システム論というとき、構造−機能主義の社会学を思い起こすのも、パーソンズの社会システム論が精神分析の媒介によって誕生したことの消去された様態であると捉えられるであろう。
16)たしかにパーソンズ自身は、AGIL図式を、1937年から1951年に至る理論的展開の延長上で、位置づけられている。パーソンズは、『社会システム』に至る連続性のもっとも重要な糸筋として、「型象変項」の表式をあげている(Parsons 1970:訳52)。
17 )こうしたパーソンズにおける精神分析の役割は、「消失する媒介者(vanishing mediator)」(Jameson 1988)の位置にあるといえるのではないのか。フレドリック・ジェイムソンは、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Weber 1911)において主題としたプロテスタンティズムを、中世の宗教的目的をもったものから近代の資本主義の合理的手段としてのそれへの展開において、「消失する媒介者」となっていたことを論じている(Jameson 1988)。それと同様にパーソンズの社会学の学説史的展開を考えるならば、パーソンズの「社会システム論」において「資本主義の誕生」におけるプロテスタンティズムの役割を果たしたのは精神分析であると言えるのではないだろうか。
18)これは、「社会システム論の誕生」に至る間に、精神分析との接触とともに、ヘンダーソンらの影響の下にシステム概念を吸収したことにおいて当然のことではある。だが、注意しなければならないのは、その「社会システム」という概念もしばしば消失することである。すなわち、「社会システム」は、その具体的なシステムの様態、個別の現象をみるとき、見えなくなってしまいかねない。システム論は、それがシステムであることを前提とすることによって、この問題を回避するのである。
19)そうしたことは、当のパーソンズに照らし合わせてみれば、「不当なもの」である。なぜなら、パーソンズは、自らの社会学の営為において、自ら到達するべき、自らが先取りする営みにおいて、すでに社会に到達していたからである。
20)筆者の造語である。
21)このことを精神分析との関係でいえば、精神分析の解釈学が、対象とは独立してそこに主体を置くことと関係してくる。オイディプスの物語を自ら受け入れ、それにしたがって、精神分析に象徴される解釈の構造の中に自ら入っていったことだ。それゆえ、そこには、精神分析のもたらす政治的なあり方が表象されているのである。
22)だから、パーソンズの社会学の人間観/人間像を批判する者がとることは、パーソンズがそのような人間観を提示したことであるだけではなく、「具体性取り違えの誤謬」の如くパーソンズが根本的に免責されてしまっていくことに対して批判を向けていると捉えなければならない。

<文献>

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Garfinkel, Harold, 1964, "Studies of Routine Grounds of Everyday Activities," Social Problems, 11-3:225-250. → 1967, Studies in Ethnomethodology: 35-75, Prentice-Hall.= 1989, 北澤裕・西阪仰 編訳「日常活動の基盤――当たり前を見る」『日常性の解剖学』:31-92, マルジュ社。
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※注記:本論文は第71回日本社会学会大会における一般研究報告「行為と理解――パーソンズと精神科学――」(1998年11月23日/於・関西学院大学)における報告原稿をもとに全面的に改稿したものである。また、本論文の一部の内容は、日本社会学史学会関東研究例会(2001年3月31日/於・慶應義塾大学)においても報告を行っている。貴重なコメントをいただいた、諸先生方、学兄・学友の皆様に感謝いたします。 

※本論文は、平成13年度筑波大学学内プロジェクト研究(奨励研究)の研究助成によるものである。